2007年03月01日

やるなら今日から

登山が好きな私は、この文章に感銘を受けた。

俗説として、雪崩の表面付近に浮かび上がれるように泳げとも言われるが、これは雪崩の規模によりけりで、比較的小規模の流れ型雪崩の場合は有効であるが、ある程度以上の規模の場合はそのような行為を行う余裕はまったくないと考えられる。 基本的に大規模な雪崩に巻き込まれた場合に助かる手段は皆無と考えられ、雪崩危険地帯で行動する場合は、予測される雪崩の規模を見極めることが非常に重要である。

山スキーなどの場合、ストック、ザック、スキーなどは雪崩に巻き込まれたときに雪の中に引き込まれる要因となるため、即座にはずせるように準備しておくことが重要とされている。ただし、最近ではザックを装備している方が体積が大きくなるため浮力が増すと考えられている。

電波発信機(ビーコン、アバランチトランシーバー)やゾンデ(プローブ)、ショベルなどのレスキュー装備を準備することは雪崩危険地帯での行動においては現在常識とされているが、電波発信機の装備による生存率は無い場合の三倍程度とされている。 比較的小規模(埋没者が生存しているうちに救助できる程度の規模)ではあるが、完全に埋没してしまう程度の規模(完全埋没していない場合は自力で脱出が可能だったり、そもそもビーコンなしでも捜索可能)で、雪崩に巻き込まれたときの外傷で死に至ることがないようなケースにおいては有効に働くという程度に認識しておくべきであろう。 ただし、当然、埋没者以外に救助を行う人間が残っていることが前提となる。
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2007年02月28日

あたなの一番の健康方法

 日本人は2,600年以上米を主食にしてきたが、本来は完全栄養食品とも言われている玄米のままで食べていた。それではいつから白米に変わったのだろうか。
 江戸時代の三代将軍家光のころ、武士階級から白米食が始まった。八代将軍吉宗の時代になると、江戸の町民にまで広まった。最初はお姫様が好んで食べたので、白米のことを「姫米」とも言った。
 この白米食への移行と同時に発生し始めたのが「脚気」である。「脚気」とは、手足のしびれ、むくみ、食欲不振、心臓麻痺などを起して死にいたることもある病気である。現代は白米食でも副食からビタミン類が取れるようになったが、当時は副食をほとんど食べなかったため栄養素の欠乏が起きていた。しかし、現代でも脚気は、ひそかに増えているらしい。今や千六百二十万人(予備軍も含め)いる糖尿病は、脚気の再来とも言われている。
 脚気は、江戸や大阪、京都などの白米を食べるようになった都市部を中心に急増し「江戸わずらい」とも呼ばれた。実際に将軍家だけでも、三代将軍家光、十三代家定、十四代家茂が脚気になり心臓麻痺で死亡している。
 また、明治時代になると正憲皇太后(明治天皇の皇后)が脚気で温泉療養をし、明治天皇も脚気と診断されている。
 日清戦争においては、陸軍では白米食を使い、副食代は現金で支給したため副食はほとんど食べずに仕送りにまわしたため、四千人の脚気による死亡者が出ている。海軍では玄麦食をすることで、脚気による死亡者が皆無に近かった。
 さらに日露戦争では、陸軍の脚気による死亡者は二万七千八百人にのぼり、医学会あげての大論争が巻き起こったという。
 海軍軍医総監は、東京慈恵会医科大学創立者の高木兼寛で脚気の原因が白米食であると主張し、陸軍軍医総監、森林太郎(森欧外)は、脚気細菌説を主張し続けた。
 結局、玄米の糠層と胚芽に多く含まれているビタミンB1の不足が脚気の原因とわかり論争は決着した。
 昭和の初期には、分づき米を主食にしようと言う試みがあったらしいが、家庭用精米機が普及していなかったことや、まとめて精米すると分づき米は酸化が早く味が悪くなるためにいつの間にか消えたしまった。麦飯を食べる人もいつの間にかいなくなってしまった。
 今では、健康のためよりも美味しい白米を食べたいと言う人のほうがほとんどのようである。
posted by かんだ at 14:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康な体と健康な心 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする