2007年05月02日

2007年03月13日

栄養センターで起きたおもしろ話

情報収集衛星レーダー2号機
IGS-1Aと同型機
2007年2月24日13時41分、種子島宇宙センターからH-IIAロケット12号機にて打ち上げられた。
より分解能を向上させた光学3号機の技術検証用の実証衛星も同時打ち上げられた。
先に打ち上げられた光学衛星2号機と一組で運用される予定。
この打ち上げにより、当初計画していた4機での運用体制が整う。地球上のあらゆる地点を天候に関係なく一日一回観測できるといわれている。
管制・運用は内閣直属の情報機関内閣情報調査室(内調)の一組織内閣衛星情報センターが行う。
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英才教育の取り組み方

2003年3月28日にH-IIAロケット5号機で最初の2機が同時に打ち上げられた。さらに、2003年11月29日13時33分にH-IIAロケット6号機で次の2機を打ち上げたが、ロケット側の故障により打ち上げに失敗し、2機とも失った。その教訓から、以降はリスク分散のために1機ずつ打ち上げることになった。2006年9月11日に光学2号機が打ち上げられ、2007年2月24日13時41分にH-IIAロケット12号機によりレーダー2号機(および光学3号機実証衛星)が打ち上げられた。この2機の正式運用が始まるまでは、先に打ち上げられた2機体制のままの運用を続けざるを得ないと見られている。

衛星の詳しい諸元や打上げ・軌道データは公開されていない。(注:下記参照)以下のデータは一部推定である。
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写真撮影からの出来事

光学センサを搭載し画像を撮影する「光学衛星」と合成開口レーダー (SAR) による画像を取得する「レーダー衛星」の2機でペアを組み、2組4機で運用する。 長らくの間、打ち上げの失敗などで、4機体制は整わなかったが、2007年2月24日にH-IIAロケット12号機でレーダー衛星2号機が打ち上げられ、念願の4機体制になった。

4機体制になった事で、地球上の任意地点を毎日最低1回は観測可能となる。光学衛星の解像度は最高1m程度であるとされ、昼間の写真撮影を行う。レーダー衛星は光学衛星より解像度は落ちるものの、夜間および曇天でも画像取得が可能である。
posted by かんだ at 13:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 人間幸せになるため

やっとの思い出達成した宇宙

情報収集衛星(じょうほうしゅうしゅうえいせい Information Gathering Satellite; 略称 IGS)は、日本の安全保障上の情報収集を目的としたいわゆる偵察衛星(言い換え)である。

法令上は「我が国の安全の確保、大規模災害への対応その他の内閣の重要政策に関する画像情報の収集を目的とする人工衛星」と定義されている(内閣官房組織令第4条の2第2項)。但し、運用・収集情報の使用については制約の多さと縦割りの弊害、また能力の詳細を伏せておきたい内閣衛星情報センターが難色を示しているため消防庁も国土交通省も活用出来ず、「大規模災害への対応」に関しては疑問も投げかけられている。また“宇宙開発は非軍事目的に限る”とした1969年の「宇宙の平和利用に関する参議院決議」に違反する疑いも拭えない。
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2007年03月07日

北海道のお土産話

二・二八事件(ににはちじけん)は、1947年2月28日に台湾の台北市で発生した後、台湾全土に広がり、40年間かけて終結した事件である。この事件を台湾大虐殺と呼ぶ人もいる。

1947年2月27日、台湾の台北市で闇市のタバコ売りの女性を密売取締員が殺傷する事件が起きた。これに端を発し、本省人による、外省人や国民党軍や国民党政府への抗議行動や暴動を含む大規模な抵抗運動が2月28日(二・二八)から台湾全土に広がった。これに対して国民党政府が武力による大規模な掃討と鎮圧(弾圧)を行なった。
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2007年03月01日

やるなら今日から

登山が好きな私は、この文章に感銘を受けた。

俗説として、雪崩の表面付近に浮かび上がれるように泳げとも言われるが、これは雪崩の規模によりけりで、比較的小規模の流れ型雪崩の場合は有効であるが、ある程度以上の規模の場合はそのような行為を行う余裕はまったくないと考えられる。 基本的に大規模な雪崩に巻き込まれた場合に助かる手段は皆無と考えられ、雪崩危険地帯で行動する場合は、予測される雪崩の規模を見極めることが非常に重要である。

山スキーなどの場合、ストック、ザック、スキーなどは雪崩に巻き込まれたときに雪の中に引き込まれる要因となるため、即座にはずせるように準備しておくことが重要とされている。ただし、最近ではザックを装備している方が体積が大きくなるため浮力が増すと考えられている。

電波発信機(ビーコン、アバランチトランシーバー)やゾンデ(プローブ)、ショベルなどのレスキュー装備を準備することは雪崩危険地帯での行動においては現在常識とされているが、電波発信機の装備による生存率は無い場合の三倍程度とされている。 比較的小規模(埋没者が生存しているうちに救助できる程度の規模)ではあるが、完全に埋没してしまう程度の規模(完全埋没していない場合は自力で脱出が可能だったり、そもそもビーコンなしでも捜索可能)で、雪崩に巻き込まれたときの外傷で死に至ることがないようなケースにおいては有効に働くという程度に認識しておくべきであろう。 ただし、当然、埋没者以外に救助を行う人間が残っていることが前提となる。
posted by かんだ at 11:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康な体と健康な心

努力の向こう側

嫌な世の中に必要な言葉

雪崩の起きやすい条件
雪崩の発生条件は様々で、単純な一般化は難しい。

厳冬期、急激な気温の変化は、積雪内部に大きな温度差を生じさせる。これは「しもざらめ雪」と呼ばれる弱層が形成されることが多い。また、一度に大量の降雪があると、弱層の上に積もる雪に荷重が増す。 急な斜面の場合、弱層は支持力を失いやすくなり、雪崩が発生する危険も非常に高くなる。

このように、気象や気温の変化などに注意することはもちろんのことだが、大きな雪崩の多くは、35から45度の急斜面で発生していることも見逃せない。また、樹林帯のなかに一部分だけ樹木の生えていない斜面があったら、そこは雪崩が頻繁に起こっていることが多いものである。 そのほか、雪庇や障害物のない広大な斜面、沢筋などにも注意が必要だろう。

なお、映画などに出てくる「大きな声を出したら雪崩に遭う」ということはない。
posted by かんだ at 11:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 夢をもって生きていこう

テーマイコール人間

私は、歴史が好きだ。

日本の雛祭りはいつ頃から始まったのか判然としていないが、その起源はいくつか存在している。日本での起源は、平安時代にすでに京都の上流階級の平安貴族の子女の雅びな「遊びごと」として行われていた記録が現存している。その当時においても、やはり小さな御所風の御殿「屋形」をしつらえ飾ったものと考えられている。しかし、それはどこまでも「遊びごと」であり、決して儀式的なものではなく、そこに雛あそびの名称の由来がある。

これが江戸時代に女の子の「人形遊び」と節物の「節句の儀式」と結びつき、全国に広まり、飾られるようになった。この「雛あそび」が「雛祭り」へと変わったのは天正年間以降のことであり、この時代から三月の節句の祓に雛祭りを行うようになったと推測されている。もっとも、この時代には飾り物としての古の形式と、一生の災厄をこの人形に身代りさせるという祭礼的意味あいが強くなり、武家子女など身分の高い女性の嫁入り道具の重要な家財のひとつに数えられていた。その為、自然と華美になり、贅沢に流れるようになっていった。

江戸時代初期は形代の名残を残す立った形の立ち雛や、坐った形の「坐り雛」(寛永雛)が作られていたが、これらは男女一対の内裏雛を飾るだけの物であった。その後時代が下ると人形は精巧さを増し、十二単の装束を着せた「元禄雛」、大型の「享保雛」などが作られたが、これらは金箔張りの屏風の前に内裏の人形を並べた豪勢なものだった。この享保年間、人々の消費を規制するため一時的に大型の雛人形が当時の幕府によって規制されたが、この規制を逆手にとって、「芥子雛」とよばれる数センチの大きさの精巧を極めた雛人形が流行することになる。江戸時代後期には「有職雛」とよばれる宮中の雅びな衣装を正確に再現したものがあらわれ、さらに今日の雛人形につながる「古今雛」が現れた。この後、江戸末期から明治にかけて雛飾りは二人だけの内裏人形から、嫁入り道具や台所の再現、内裏人形につき従う従者人形たちや小道具、御殿や檀飾りなど急速にセットが増え、スケールも大きくなってゆく。
posted by かんだ at 11:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 努力は皆している